1.なぜ心身相関という考え方が必要なのか

「心身相関」とは、心と身体がどのように関連しあっているかということで、心身医学の根底をなす概念です。
他で記載したように、この発想は伝統医学の中においては当然のことです。中国医学、チベット医学、アーユルベーダ−インド伝統医学などで(そのくらいしか知りませんが)では、精神療法、身体療法などとわけて行ってはいません。人の体全体のバランスを整えることを目指すわけです。
近代西洋医学は心と体を切り離し、体を機械のようにパーツに分解して分析していくという手法でめざましい発展を遂げました。精神は精神で大変難しい用語を羅列する「精神病理学」「精神分析学」をベースにして発展をとげ、近年は脳の研究が進歩したことにより、脳細胞の活動、脳内物質の動きなどから精神活動を理解する「生物学的精神医学」によりめざましい発展を遂げています。身体医学に至っては、各臓器毎に、あるいは治療手段毎に専門分化が進み、莫大な情報が日々増え続けています。最近ではゲノムから病気を理解すること、生物的個体の限界を超えた生殖医学や移植医学までもが発展しつつあります。
このように近代西洋医学的手法は疾病コントロール、生命のコントロールには絶大な威力を発揮してきました(最長寿命はなかなか更新できないようですが)。その他の伝統医学の及ぶところではありません。
しかし、それで人が幸せになったでしょうか?よりよい社会が出来たでしょうか?医学の進歩?により人間の輪郭は益々曖昧になっていき、社会文化自体もより複雑なものにしてしまいました。伝統医学というものは、病気の治療のみならず、人間のありよう全体の改善を目指すものでした。中国の言葉に「下医は病を治し、中医は人を治し、上医は国を治す」というものがあります。そこまで大げさではなくても、伝統医学の発想は、人の生活全体を視野にいれたものでした。
近代西洋医学は、そのめざましい発展の代償に、そういった全体性を失ってしまったわけです。心身医学は、再度、心と体を結びつけるために立ち上げた分野であり、心と体の関係(心身相関)を学問的に扱っていき、最終的には近代西洋医学の中に「生命現象に関わるためには心と体を両面から見ていく必要がある」という発想をとりもどさせることを目指すものなのです。

2.すべての病は心身症である

精神科医である成田善弘氏は、長年総合病院精神科でコンサルテーション・リエゾン精神医学にたずさわり、身体疾患にも深く関わってこられた経験から心身医学に対しても優れた洞察をされています。
著書「心身症」(講談社現代新書)の中で、心身相関にふれられ、すべての病は心身症であるという表現をされました。心身相関について非常にわかりやすい内容ですので以下に紹介します。

「人間の身体、器官に何らかの病状が発生した場合、そこに心理的なものが強く影響しているとしても、身体、器官における身体医学的諸条件が必ず関与しているものであり、哲学者でなく医師として患者にかかわる以上、まず身体を重視しなくてはならないことはいうまでもない。
また、人間の心というものは、脳の働きによるものと考えられる。心をすべて脳の働きと言い換えてよいかどうかには問題が残るとしても、少なくとも脳なくしては心は存在しないと考えられる。そしてその脳の働きは身体の他の部分からの影響をたえずこうむっている。したがって心身相関の考えとは、脳の状態や機能が身体組織や器官に及ぼす影響について、また身体組織や器官の状態や機能が脳に及ぼす影響について、常に考えていくことになる。
 他方、人間は環境との相互作用によって発達・成長してゆくものである。とくに人間は他の哺乳動物と違ってほとんど子宮外胎児といえる未熟な状態で誕生するので、その後の発達・成長に環境が及ぼす影響は著しく大きい。生理学的諸機能の分化・発達に環境や母親との相互作用が直接影響するものと考えられる。
 さらに、パーソナリティの形成や感情面の成熟は、その人の生活する文化、社会、そこでの対人関係によって大きく左右されるから、心身相関を考える際には、個人と社会、文化との相互作用をも考慮に入れねばならない。
つまり、人間においては、その内部において心(脳)と身体各部の間に相互作用が行われると同時に、外部の環境(対人関係を含む)との間でたえず相互作用が行われている。人間の疾病とは、この複雑な相互作用がどこかで何らかの不調をきたしたものと考えられる。
 したがって、人間の疾病をみる場合には、心と身体を二分するのではなく、人間の内外における全体を評価し、治療的立場からどの因子の処理に力を注いだらよいかを判断すべきである。こういう心身相関の考え方に立てば、人間のすべての病は心身症と考えられ、とりわけて心身症という特殊な疾患群を考えたり、心身医学という特殊な学問領域を設けることは不要であるとも考えられるのである。」

 成田氏はここで、心身相関現象は自明のことでありるから分けて考える必要はなく、疾病を見たときには、その人の疾病の重症度、家庭的、社会的状況など全存在を視野にいれて治療にあたるべきであり、心身症、心身医学という特殊なカテゴリーは必要ないと述べておられます。
 しかし、心身相関現象の存在こそ自明であっても、何が何にどう関与しているのか、それに対して、どのようなアプローチをすれば改善につながるのかは依然不明のままです。中医学のように「七情内傷、どういう感情が身体の何に災いをもたらすのか、そして、それを改善するにはどうすればよいのか」というテクノロジーは近代西洋医学には欠如しているのです。
 心身医学とは、「七情内傷」を西洋流に、科学的に再構築するための学問であり、そういうプロセスがもっとも色濃く関与し、それを避けては改善が期待できないような疾患を心身症と名付けることは、必要なことではないでしょうか、少なくとも現時点では。
 近代科学主義に洗脳されきっている人々に対して、抽象的な言い回しでは説得力はないでしょう。ある程度の根拠のある心身相関現象を提示していくことで、医学の中でも教育の中でも心と身体の再統合がなされていくのではないでしょうか。
 このように自明なことに回りくどい説明を付けなければ、腑に落ちていかない現象こそ現代人の不幸であり、心と身体が分裂してしまっている集団心身症なのかもしれません。

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