「好人物ライト氏の事例」( Klopfer, 1957, pp.337-339)
ライト氏にはリンパ節を侵す非常に悪化した全身性悪性腫瘍、いわゆるリンパ肉腫があった。その腫瘍は、ついには現在考えられるあらゆる抑制治療に対する耐性をもつに至った。さらに貧血の悪化のため、別の状況なら試みたかもしれないエックス線照射やナイトロジュンマスタード〔訳註・リンパ組織に対する破壊作用をもつ化合物。リンパ肉腫、白血病、ホジキン病、その他がんなどの治療に用いる。メクロレタミン〕を使う強力な治療はどれも不可能だった。オレンジ大もの大きな腫瘍の塊が、首、腋窩、鼠径部、胸部、腹部にあった。牌臓と肝臓は肥大していた。胸管が閉塞し、一日おきに乳状の液体を一〜二リットル胸部から抜き取らねばならなかった。彼はマスクによる酸素吸入を頻繁に受けており、われわれの印象としては末期状態にあって、最後の時に向かう彼の苦痛を和らげるために鎮静剤を与える以外、治療は不可能と思われた。
ところがこういった状況にもかかわらず、ライト氏は希望を失っていなかった。医師たちはすっかりあきらめていたにもかかわらず、である。それは、今に出現して土壇場で自分を救ってくれるはずだと彼が待ち望んでいた新薬が、もう新聞に発表されていたからである。新薬の名は「クレビオゼン」という(その後、役に立たない、効果のない薬剤であることが判明した。)
そしてライト氏は、米国医学協会が問題の新薬の評価試験を行う施設として選定した100箇所に彼のいる病院も含まれることを、どこからか聞き出してきたのである。私たちには12人の患者の治療に使用できるだけの薬剤が割りあてられていた。ライト氏は、臨床試験の対象として適格性に欠けると判断された。対象となる患者は、従来の治療法で効果が期待できる段階を過ぎており、なおかつ少なくとも三カ月、できれば六カ月の余命があることが条件の一つだったからである彼が第二の点を満たしていないことは明らかで二週間以上の余命はとても期待できそうになかった。
数日後には新調が馨し、私たちは臨床試験計画の立案にかかったが、当然のことながらライト氏は計画に含まれていなかった。ところが私たちがクレビオゼンによる治療を始めようとしていることを知ると、彼の意気込みは止めようがなくなってしまった。私は極力思いとどまらせようとしたのだが、彼はこの「またとない機会」をぜひ試させてくれと必死で懇願した。そこで私は自分の良識に反し、クレビオゼン委員会の規則にも反することではあるが、やむをえず彼を対象に含めることを決断したのだった。
新薬の投与は週に三回行うことになっており、私の記憶では、ライト氏は金曜日に最初の注射を受けた。次に彼と会うはずの月曜日、私は病院に向かいながら、彼はもう危篤におちいっているか、あるいは亡くなっているかもしれないと考えていた。そしてそれなら彼の分の新薬は別の患者に回せばいいとも思っていた。
だが何と大きな驚きが私を待っていたことか! 私が病院に残してきたこの患者は、それまでは熱に苦しみ、呼吸も困難な寝たきりの状態だった。それが今はどうだ。病棟内を歩き回り、看護婦たちと楽しげに言葉をかわし、耳を傾けてくれる相手なら誰にでも元気いっぱいで話しかけているではないか。私はすぐさま、同じ時に第一回の投与を受けた他の患者たちの様子を見に急いだ。変化なし。患者によっては悪化さえ認められた。このライト氏にだけ輝かしい改善がみられたのである。腫瘍は熱いこんろの上に置いた雪玉のように融解し、わずか数日のうちにもとの半分の大きさになっていた!、これは、放射線治療が最も効果的なタイプの腫瘍に毎日大量のエックス線を照射した時にみられる症状の改善をもはるかにしのぐ、急激な変化である。しかも、もはや彼の腫瘍に放射線治療が効かないことはすでにわかっていたし、このたった一回の、効くはずのない「注射」以外、彼は何の治療も受けていなかったのである。
この現象には何か説明が必要だった。しかしそれだけではない。この現象は、説明しようとするよりむしろ柔軟な頭で学ぶようにつとめるべきだと、私たちに迫っていた。注射は予定通り週三回行われ、患者のライト氏は大いに喜んだが、私たちは途方にくれるばかりだった。わずか一〇日のうちに症状は事実上すべて消滅し、彼は「死の床」から離れることができた。いかに信じられなかろうと、この「末期状態」の患者、酸素マスクをつけて息も絶えだえだった患者が、楽々と呼吸し、すっかり活動的になったばかりか、自らの飛行機を駆って飛び立ち、高度三千数百メートルを飛行してまったく平気だったのである!
この信じられないような出来事は「クレビオゼン」評価試験を開始したばかりの頃に起きたのだが、二ヵ月もしないうちに相反する結果が報道されはじめた。試験を実施している病院はどこも、なんら成果を得ていないというのである。一方この治療法の提唱者は、現れはじめた否定的な事実にやみくもな反論をしつづけていた。
数週間が過ぎ、ライト氏はこの事態に困惑していた。特別な訓練を受けたわけではないが、彼は時としてかなり論理的、科学的な思考力を示すことがあった。ライト氏はそれまで彼の命を維持させてきた最後の望み、それ以外は何も残されていない頼みの綱に対する信頼を失いはじめた。報告が次第に暗い見通しを語るようになるにともない、彼の信念は衰えていき二ヵ月間は完全に健康だったにもかかわらず再発してもとの状態にもどりすっかりふさぎこんで見る影もない有様となってしまった。
しかし私は、これは新薬を再確認するチャンスだと思い、同時にニセ医者が主張する治療効果(その多くは意外にも実際に起きてもいる)がどのようにもたらされるのかを解明する、いい機会かもしれないと思った。その時までにこの患者の生来の楽観的な性格をある程度知っていた私は、あえて彼を利用したのである。これは純粋に科学的な動機にもとづくもので、完全な対照実験を行うためだった。実験によって、ライト氏がもたらした数々の不可解な疑問に答えが見いだせるかもしれない。それにこの計画が彼に害を与えることなどありえないと私は確信していたし、いずれにしても、私にはほかに彼を助ける手だてはなかったのである。
当初は「奇跡の薬」があれほどの効果をみせたというのに、病気の州発に柵望したライト氏がほとんど希望を失ってしまった時点で、私はこの機会を利用してニセ医者の役をつとめようと決心した。そこで非常に慎重に、新聞記事を信じてはいけない、この薬はやはり本当に有望なのだ、と彼に嘘を告げたのである「それならどうして私は再発したんですか」と彼は訊ねた「薬の成分が時間とともに劣化しただけなんですよ。非常に純度の
高い、二倍の効力をもつ新しい製品が明日届くことになっています。前に注射した時以上の効果が期待できます」と私は答えた。
この知らせはライト氏にとって大いなる天恵だった。症状は相変わらず悪かったが、彼は楽観的な性格をとりもどしぜひもう一度治療を始めたいと熱望したのである荷物の到着を二、三日遅らせることで、彼の救済への期待は極限にまで高まった。新たな投与がまもなく始まると告げると、彼はほとんど歓喜の極みに至り、治療に対して非常に強固な信頼を示した。
私は大げさにもったいぶり、演技力を発揮して(この状況でなら許されると思った、)
効果が二倍になった新鮮な薬剤−じつは新鮮な真水以外は何もはいっていない− の第一回目の注射を行った。この実験の結果は、当時の私たちにはまったく信じられないものだった。もっとも、仮にもこのようなことを企てたからには、およそありそうもない結果も、少しは予測しておくべきだったのだが。
二度目の末期状態からの回復は一度目よりもさらに劇的だった。腫瘍は溶解し、胸部の液体は消失してライト氏は歩き回るようになり、また飛行機の操縦をするまでになったのである。この時点では、彼はまさに健康そのものだった。水の注射は続けられた。何といってもこれほどの奇跡を起こしているのだ。その後二ヵ月以上、彼にはまったく症状が出ないままだった。ところがここへ来て、米国医学協会の最終的な発表が報道されたのである−「全国規模の臨床試験の結果、クレビオゼンはがんの治療に関してまったく効果がないことが明らかになった」
この報道の数日後、ライト氏は危篤状態で再入院してきた。信念は消えうせ、最後の望みを絶たれた彼は、その二日目に亡くなったのである。
ロールシャッハテストにみられるライト氏の人格に関し、クロッパーは以下のように概説している
ライト氏のロールシャッハテストの記録は、彼が楽観的態度から悲観的態度へと変わる前にとられたものである。そこには私が以前「浮遊する自我組織」と呼んだ人格像が現れている。これはまったく無防備に、批判的見方をすることもなく、最初は新薬の報道を、ついで医師の実験目的の暗示を信じこんだ彼の行為と、それをいかにも容易に信じこんだという事実に示されている。彼の自我はただあちらこちらへ浮遊しており、それゆえに利用できる生命エネルギーはすべて、がんの治療に対する、まったく奇跡的と思われる反応を引き起こすことにあてられたのである。
しかし残念なことにこの状態は長続きするはずがなかった。長期的な視野をもつ、確固とした中心的人格による補強が欠けていたからである。それがあれば、新薬への絶望による破壊的な影響を和らげることもできたであろう。象徴的な言い方をすれば、彼は楽観的な自己暗示の影響を受けて水面を浮遊しているあいだに重い石になって、この暗示の効力が消えたとたん、何の抵抗もできず水底に沈んでしまったのである。
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