ディーン・オーニッシュ著 「愛は寿命をのばす」より
愛と生きることと。
この二つには、どんな関係があるのか?
この本の基本となっているのは、シンプルだが力強い考え方だ。わたしたちが生きられるのは、愛と親密な関係によって癒やされるからである。肉体的にも、感情的にも、精神的にも。また個人としても、集団としても、国としても、文明としても。そして、たぶん種としても。
わたしが心臓病患者の食事指導をしてきたために、ほとんどのひとは、わたしの仕事の中心は食事法だと思っている。そのために、誰かと食事をすると必ず、こんなものを食べてすみませんと謝られたり、あなたのお食事はどうこうなどと言われる。わたしは食事取締官ではないと言っているのに。
これまでの二十年の研究で、ライフスタイル全体を改善すれば、重い心臓病でさえも、薬や手術なしに快方に向かう可能性があることが明らかになった。この研究はたびたびマスコミで取りあげられた。その手の記事はほぼ例外なく、食事法に重点を置いていた。「ひとは何を食べているか?」「この食事法は一般人には厳しすぎないか?」「ほんとうに長生きするのか、それとも長生きするように見えるだけなのか?」等々である。
べつに食事や運動の効力を過小評価するつもりはないし、薬や手術についても同じだ。食事やライフスタイルの変化で健康状態が改善され、人生が明るくなる可能性については、昔に比べてずっと多くの科学的な証拠が出されている。食事やライフスタイルはたしかに大事だ。しかし、いちばん大きな力は愛と親密な関係がもつ癒やしの力と、それによってもたらされる感情的、精神的な変化だろう。わたしのこれまでの著作では、病気の感情的、精神的な面が見過ごされがちだったので、今度はそこに焦点をあててみようと考えたのである。
医療関係者はあまり目を向けないが、愛と親密性こそ、健康と病いにとって最も大きな要素である。この考え方を裏付ける科学的研究は、最近、ますます増えている。本書では、わたし自身の研究も含め、そうした研究の数々をご紹介したい。
しかし、この考え方が健康と病気だけでなく、人生の喜びや価値と意義にも大きな影響をもっていることを理解するには、科学的文献だけでは限界がある。そこで、わたし自身の人生や友人、仲間、患者たちの実例を交えてお話ししたい。
今日の医学は、まず物理的、機械的側面を重視する傾向がある。薬品と手術、遺伝子と細菌、微生物と分子などだ。だが、人生の質や病気、そしてあらゆる原因による早すぎる死に何よりも大きな影響を与える要素がある。それは食事でもなく、喫煙、運動、ストレス、遺伝、薬品、手術でもない。
たとえば、コレステロールは心臓痛や心臓発作による早死にと明らかに関係がある。血液中のコレステロールの数値が高い者は、低い者に比べて心臓発作を起こす危険性が数倍高い。コレステロール値を下げれば、心臓病や心臓発作の危険性は低下する。
しかし、コレステロール値は妊娠中や出産時の合併症、感染症、関節炎、潰瘍などの病気やそれによる死亡とは無関係だ。ところが、孤独と孤立はすべての病気の危険性を押し上げる。何かべつの力が働いているにちがいない。
喫煙、食事法、運動はいろいろな病気に影響するが、禁煙し、運動し、食事法を変えても、転移性の乳癌患者の余命が倍にのびることはない。しかし、第1章でお話しするように、サポート・グループとの会合で毎週、愛と親密な関係が与えられたとき、余命は倍になった。遺伝はほとんどの病気に大きな役割を演じているが、遺伝子が主たる原因だという病気は比較的少ない。遺伝的要因は、コレステロール値などこれまで知られている危険因子と結びついたとしても、心臓病の危険性に占める割合としては半分に満たない。
わたしたちは病気に罹ったりよくなったり、悲しんだり幸せになったり、苦しんだり癒やされたりする。その根本にあるのが愛と親密性である。この二つと同じくらいの影響力をもつ薬が開発されたら、すべての国のすべての医師が患者に処方するにちがいない。処方しなければ医療過誤と非難されるだろう。ところが、例外的な場合をのぞいて、わたしたち医師は愛と親密性がもつ癒やしの力について、あまり学んでいない。それどころか、そうした考え方は無視されたり、誹諸されたりしている。
どんなに疑い深い医学者でも、食事法が重要だということには疑問をもたないだろう。運動の重要性、禁煙の重要性についても同じだ。しかし、愛と親密性についてはどうだろう? 心を開くことについては? 感情的、精神的な変化については?
わたしは科学者だ。わたしたちが住む世界を理解する手段としての科学の価値を信じている。科学は、フィクションと真実、いんちきと現実を見分け、何が役に立たないか、何が誰にどんな環境で役に立つかを見分ける力になる。だが、科学には限界もある。いちばんたいせつなものが、計測できるとはかぎらないし、証明できることが最も大事だとはかぎらない。イギリスの科学者デニス・バーキットは「大事なものがすべて、計測できるとはかぎらない」と書いている。
人間にとって最も大事なものを測る物差しはないかもしれない。だが、計測できなくても、体験の価値が下がるわけではない。体験をしたひとたちの話を聞いて、大きな利益を得ることはできる。話し合い、耳を傾けあって、仲間意識を感じ、体験を分かち合えば、それが大きな癒やしの力になりうる。
はっきりさせておきたいが、わたしは薬の投与や手術に反対しているわけではない。適切に利用されれば、薬も手術も大きな価値がある。理由はともかく、ライフスタイルの変化に関心をもたないとか、ライフスタイルの変化に加えて薬や手術が必要だという患者には、コレステロール値を下げる薬や他の薬を処方するし、手術の手配もする。脂質低下薬をのみつつ、ライフスタイルを変化させたら、患者はさらによくなるかもしれない。それに、危機的状況の場合は、薬品と手術が命を救うことがある。
(中略)
心臓は物理的なレベルで取り組まなければならないポンプだが、ただのポンプではない。真の医者は鉛管エや技術者、メカニックであるだけではない。人間には感情的な心臓、心理学的な心臓、精神的な心臓がある。
この考え方は言葉に反映されている。わたしたちはスイートハートを想うのであって、スイートポンプを想うのではない。詩人や音楽家、芸術家、作家、神秘家は何代ものあいだ、開かれたハートと閉ざされたハート、温かなハートと冷たいハート、優しいハートと冷酷なハートを描いてきた。愛はひとを癒やす。これは比喩であり、深い叡知の反映であって、ただの言葉遊びではない。
科学的な集まりや病院、医科大学などで講演するとき、わたしはまず信頼性を確立する方法として、科学的なデータを提示する。無作為対照調査をもとに、心臓病の進行はライフスタイルの変化によって逆転できるという客観的な証拠を示すのだ。それから、自分にとっていちばん関心のあることがらに話を進める。「心臓を開く」 ことの感情的、社会心理的、精神的側面である。
ところが、終わるとこんなことを言われる。「やあ、ディーン、講演はとてもよかったんだが、心がどうの、感情がどうのという話になるとどうもついていけないな」
しかし、わたしたちは心と感情に動かされる生き物なのだ。わたしたちはコミュニティで生きている。過去数十万年のあいだ、互いに心遣いをしあい、愛し合い、人間関係を育てることを学んだ個人や社会や文化は、それを知らないものよりも生き延びる可能性が高かった。お互いを気遣いあうことを知らなかった人間は生きていけなかった。いまでは、お互いを気遣いあい、コミュニティをつくるために費やされる時間はますます少なくなっている。だが、こうした考え方を無視していると、わたしたちの生存そのものが脅かされる。
現代文明における真の問題は肉体的な心臓病ではなく、感情的、精神的な心臓の病いである。つまり、お互いの結びつきや絆を提供してきた社会機構の崩壊にともなって、ひろくはびこりだした深い孤独や孤立、疎外感、鬱である。これこそが、わたしたちの社会の疾病やシニシズム、暴力の根ではないか。
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